一.幼馴染たち

平成の中頃、薄暮に染まる寂れた町。そこに暮らすごく普通の中学生、祐樹の日常は、ある日突然現れたぬるりによって変貌した。

それは、人の頭ほどの大きさの漆黒の球体だった。音もなく宙を漂い、触れようと手を伸ばすと、まるで水の中を泳ぐかのようにぬるりと指の間をすり抜ける。誰もがそれを幽霊のようなものだと思い込み、気味悪がりながらも日常の片隅に押しやった。

それから、町中で不可解な出来事が頻発するようになる。大切にしていたものが突然消えたり、見覚えのない場所に現れたり。そして、その現象の傍らには必ずぬるりが浮遊していた。

祐樹には、健一と彩香という二人の幼馴染がいた。三人いつも一緒で、くだらないことで笑い合ったり、時には些細なことで喧嘩したりと、かけがえのない日々を過ごしていた。祐樹も健一も、秘かに彩香に惹かれていたが、その気持ちを口に出すことはなかった。

そんなある日、彩香が忽然と姿を消した。原因は全く分からず、警察も介入したが手掛かり一つ掴めない。前触れもなく、まるで最初から存在しなかったかのようだった。学校中が騒然とする中、祐樹はただ呆然と立ち尽くすしかなかった。頭では何が起きたのか理解しようとするが、心がついていかない。彩香の笑顔、声、隣にいた温もり――すべてが蜃気楼のように感じられれ、周囲にはぬるりが漂っていた。


二.幼き日の欺瞞

その日の夕方、憔悴しきった様子の健一が祐樹の家を訪ねてきた。顔は青ざめ、目の下には深いクマが刻まれていた。

「頼むから……お前だけは、いなくならないでくれ」

震える声でそう懇願する健一の目には、涙が溢れていた。普段は冷静で、どこか飄々としていた彼が、子どものように弱さをさらけ出していた。祐樹は何も言えず、ただ無言で、友の肩を強く抱きしめるしかなかった。

ふと、その時だった。健一が祐樹の部屋の隅で、埃をかぶった古びた玩具を見つけた。

「これは……懐かしいな。おれが昔、お前にあげたやつじゃないか。友情の印として……」

祐樹はその玩具に目を奪われた。確かに、これは――子どもの頃、彼が何よりも大切にしていた物だ。しかし、彼はその玩具を「失くした」と思い込んでいた。いや、実際には……隠したのだ。

記憶が一気に押し寄せてきた。あの日の夕暮れ。ヒロキという新しい友だちに心惹かれはじめ、健一との間に微妙な距離が生まれていた頃。祐樹は、健一からもらったその玩具を、あえて物陰に隠したのだ。「もう健一のことなんてどうでもいい」と、自分に言い聞かせながら。

だが、隠したはずのその玩具が、今、目の前にある。しかも、その傍らには、漆黒の球体――重力すら捻じ曲げそうな、深淵のような存在が、空中に浮かんでいた。

そして、祐樹は思い出した。

あの日。玩具を隠した瞬間、確かに“ぬるり”とした何かが、視界の端に現れたのを――。黒く、形を持たず、ただそこに「在る」だけの異質な存在。まるで、心の闇を映す鏡のように。

「あれは……俺が“失くしたい”と願ったものを、具現化していたのか?」


三.ぬるりの正体

ぬるりは、最初から祐樹の中にいた。彼が幼い頃から抱いていた、誰かの大切なものを「ぬるり」と消してしまいたいという、形のない悪意の塊。それが、成長するにつれて肥大化し、現実の世界にその姿を現したのだ。町で起こる不可解な現象も、人々が心の中で密かに「消えてしまえばいい」と願ったものが具現化した結果だった。

そして、祐樹の脳裏には、数日前に目撃した光景がよみがえっていた。それは、彩香が、祐樹の親友である健一に笑顔で話しかけ、ほんの少し赤らんだ頬で健一にプレゼントを渡していた姿。その光景を目にした瞬間、その傍らには、いつもより大きく脈打つぬるりが浮遊していたことを、祐樹は鮮明に覚えていた。

祐樹は鏡を見た。そこには、漆黒の瞳を持つ自分が映っていた。その瞳の奥には、小さな、しかし確かに存在するぬるりが、静かに蠢いているように見えた。


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