一.ぬるりとともに現れる不幸

昭和の終わり、ある町。小学四年生の美咲は、裏山の神社で奇妙なものを見つけた。それは、人の頭ほどの大きさの、漆黒の球体だった。表面は滑らかで、光を吸い込むように鈍く輝いている。好奇心から手を伸ばすと、それはまるで煙のように、するりと指の間をすり抜けた。

ぬるり……」

美咲は、その奇妙な感触と、得体のしれない存在に名を与えた。それからというもの、「ぬるり」は美咲のそばを漂うようになった。学校に行く時も、友達と遊ぶ時も、まるで影のように美咲の後をついてくる。

美咲は、学校が少しだけ嫌になっていた。昔は無邪気に笑いあえた友達。今は何となく距離を感じてしまうのだ。友達に「ぬるり」の話をしたが、誰もその存在に気づかない。美咲が指差しても、友達はちょっと馬鹿にした口調で、そんなのいるわけないじゃん、と嘲笑った。私は、そうだよね!とわざと笑顔を作って言った。

ある日、美咲の飼っていた金魚が死んだ。水槽の底で横たわる金魚の横に、「ぬるり」が静かに浮かんでいた。母に言っても、あんたがちゃんと世話しないからでしょう、捨ててきなさい、と言われ、泣く泣く公園へ埋めてきた。

その翌日、美咲の祖父が病で倒れる。その枕元にも、「ぬるり」がいた。母は、祖父を好きじゃなかった。あーあ、あの人をまた病院に連れて行かなきゃいけない、あんな人、早くいなくなればいいのに。と母がつぶやき、美咲は嫌な気持ちになった。でも、美咲はそうだよね、早くいなくなればいいのに、と母に同調した。

美咲は一人になって、自己嫌悪とともに、分析した。「ぬるり」が現れると、必ず不幸が起きるのだ。しかし、その因果関係を誰にも説明できない。美咲は恐怖に震えながらも、「ぬるり」から目を離せなかった。


二.老女ハルの教えた奇跡

不安と孤立の中、美咲は一人で古本屋を営む老女・ハルに出会った。ハルは美咲の話を真剣に聞いてくれた唯一の人物だった。美咲は最近の誰にも話せなかった悩みと、その傍には必ず「ぬるり」がいたことをハルに打ち明けた。

「あんたの見てるそれは、きっと『禍玉(まがたま)』だよ。触れると、大切なものと縁が切れるんだ。」ハルはそう言って、古びた書物を見せた。そこには、まさに「ぬるり」の姿が描かれ、様々な不幸の事例が記されていた。

ハルの助言に従い、美咲は「ぬるり」に触れないよう必死で避けるようになった。しかし、「ぬるり」はまるで美咲の感情を読み取るかのように、執拗に美咲の周りを漂う。ある晩、美咲は悪夢にうなされた。夢の中で、「ぬるり」は巨大な口を開き、美咲の大切なものを次々と飲み込んでいく。

翌朝、美咲は高熱を出した。朦朧とする意識の中、枕元に「ぬるり」が浮かんでいるのが見えた。私もみんなと縁が切れて死んでしまうのかな、と美咲は不安になった。しかし、それはいつもと違っていた。黒い球体の中に、かすかに、何か白いものが透けて見える。よく見ると、それは美咲がこれまで触れてきた、大切なものの“記憶”のような光の粒だった。金魚の鱗、祖母の皺、友達の笑顔。

美咲は、震える手で「ぬるり」に触れた。すると、あの滑らかな感触の奥から、冷たい、硬い芯のようなものがあることに気づいた。それは、ガラス玉のように透明で、中に白い光が閉じ込められている。同時に、美咲の頭の中に、ハルの声が響いた。「禍玉は、触れられることで、縁を『結び直す』ことができるんだよ」。

美咲の熱は嘘のように下がった。そして、「ぬるり」は姿を消した。美咲の祖母は奇跡的に回復し、金魚も新しい命を吹き込まれたかのように元気に泳ぎ出した。全てが元通りになったかに見えた。しかし、美咲の視点では、いくつかの違和感が残った。それは、金魚の模様が少しだけ違っていたこと、そして、ハルという老女の存在が、町の誰の記憶にもないことだった。


三.繋ぎなおす力

その日から、美咲は少しずつ、自分の「本当の気持ち」を言葉にするようになった。友達が話を馬鹿にしても、笑ってごまかすのをやめた。

「私は見たんだよ。黒くて、ぬるっとしてて……でも、怖くないの。」

最初は、また笑われるだけだった。でも、美咲の目が真剣なことに気づいたのか、やがて友達も話を聞くようになった。そして不思議なことに、美咲の話を信じる子が少しずつ現れた。

母親に対しても、勇気を振り絞ってこう告げた。

「おじいちゃんのこと、いらないとか言わないで。私、おじいちゃんと一緒にいた時間、楽しかったもん。金魚だって、私が名前つけたんだよ。忘れちゃったの?」

母親は目を伏せて、美咲に謝った。その日から、美咲と母の距離も、ほんの少しずつ変わっていった。母は祖父に優しく声をかけるようになり、美咲の話を真面目に聞いてくれるようになった。「ぬるり」の力で、たしかに「縁」がつながり直していくのが感じられた。

ぬるり」が縁を切ってしまうのか、縁を繋ぎなおしてくれるのかは、自分次第なのかもしれない。そして、それは「ぬるり」が居なくても同じこと。そのように、美咲はこれからの長い人生で学んでいくことになるのだろう。


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